カート・コバーンが再ブームらしいです

カート・コバーンが再ブームらしいです


2022年 09月 20日

少し前にアーカンソー州ベントンビルとは?というブログ記事を公開しましたが、その中でベントンビルはポートランドのようにカート・コバーンとコートニー・ラブが出会った場所でもなく」という風に説明しました。

そんな折、大好きなYouTubeチャンネルでカート・コバーンの特集が組まれました。 

以前、マック・ミラーの特集もありましたが、涙なしでは見れない傑作です。

リアルタイムではそこまで真剣なニルヴァーナのファンでも、カート・コバーンのファンでもなかったのですが、当時彼の死を聞いて非常にショックを受けた記憶があります。しかし、2年後に2Pacが亡くなった時の方が個人的には衝撃だったような気がします。インターバイクでラスベガスに出張した際、彼がBMWの中で銃撃された現場に行きました。

マック・ミラーもカート・コバーンもガールフレンドから音楽的にも影響を受け、彼女達との離別が死の遠因になっているのが知られていますが、ご存じの通りそれぞれアリアナ・グランデとコートニー・ラブです。

最近ソーシャルでカート・コバーンをよく見かけると思っていたのですが、動画の中でも説明されています。新しい映画バットマンがコバーンから影響を受けていたり、モヘアのニット、ジャック・パーセル、ワンスター、オリンピア・ビアーのTシャツ、マニキュアなどが再び脚光を浴びていると言うのです。

コバーンが最後に頭を撃ち抜いたのはオリンピアというワシントン州南部の町のアパートメントで、その街の名を冠したオリンピア・ブルワリーというブルワリーがありました。いわゆるパシフィックノースウエスト、ワシントン州やオレゴン州のローカルなら知らない者はいないというくらいこの地域を象徴するビールだったのですが、1999年にPBRに買収され、2003年には醸造所も閉鎖されました。

コバーンがこの赤いTeeを着用したことにより、このブルワリーは消滅したものの、伝説になったのです。

オリンピアのもう少し北はオリンピック半島と呼ばれており、オリンポス山があります。トレイルネットワークが素晴らしく、2018年には走りに行きました。ポートエンジェルスではMTBのダウンヒルレースも開催されています。

有名な写真ですが、亡くなった時に履いていたのはジャックパーセルではなく、ワンスターでした。

彼のファッション的な面を紹介しましたが、動画では彼のパラドックスにフォーカスしています。セルアウトすることを嫌いながらも、売れて有名になることを願い、大金を手にしたことにより薬物への依存が深くなり、晩年には重度の薬物中毒だったにもかかわらず、インタビューではドラッグを絶っていると偽ります。

最後のヨーロッパツアーでコートニー・ラブと別れ、帰国してから死までの描写には胸が締め付けられるものがあります。しかも、この最後のツアーはバンドとしてバラバラになりそうな状態で、コバーンの体調も良くなかったにもかかわらず、音楽的には素晴らしかったといいます。

 

去年、KLEINの工場跡地に行った動画をYouTubeに上げていますが、コバーン最後の地はこの場所からクルマで40分ほど北なので、今度オレゴンに行く機会があれば行ってみたいと思います。余談ながら、同じ27才で亡くなったジミ・ヘンドリクスもシアトル郊外の墓で眠ります。

 

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