Patagonia PCUとザ・ロスト・アロー・プロジェクト

Patagonia PCUとザ・ロスト・アロー・プロジェクト


2022年 08月 25日

はじめに

アメリカでMTBに乗ることが多いのですが、面白いもので、良いトレイルの起点となる街には多くの場合パタゴニア・ストアがあります。アウトドア・アクティビティの盛んな街には戦略として重点的に出店しているのでしょうが、予想外の天候や、洗濯の都合で必要にかられて、もしくは単純に物欲のおもむくままに買い物することが多いです。

環境問題に長年取り組む同社ですが、その過程では色々な毀誉褒貶がありました。有名な所ではシーシェパードへの支援がありますが、その他にも2011年のブラックフライデーに“Don't buy this jacket”というキャンペーンを打ち、ブラックフライデーのセールをやらないこと宣言したこともあります。もちろん、大量に生産して、年末のセールで叩き売るというビジネスモデルは今でも健在で、セールのタイミングでストアに行くと、それは祭のような熱気です。

そんなパタゴニアですが、アメリカ国防総省と契約して軍に戦闘服を納入するコントラクターとしての一面を持っています。環境保護という観念に反する戦闘行為を効率化するための被服を提供していることになるのですが、これは国家への貢献、アメリカの企業として社会的責任を果たしているということです。なんなら、同じアメリカ国内のアウトドアブランドの中でも、かなり積極的に関わり、投資を行っています。

アメリカでは現役、退役を問わず、アーミーに対するリスペクトはあらゆる職業の中でも最大レベルにあり、例えば入国審査は現役アーミーのための並ばなくていい窓口があったり、エアラインはアーミーのためのラゲッジはほぼ無制限に搭載してくれますし、小売店ではアーミーのためのディスカウントがあったり、多くの恩恵が用意されています。当然、戦争という行為には反対の立場の人も存在すると思いますが、それはそれとして、ほとんどの人は国家への貢献に身を投じている人にはサポートの意志を持っていると思います。

逆に言うと、それができない場合はアメリカの国民ではないし、アーミーはリスペクトを得ているから組織として新兵を集めることが容易になるという構図になっており、ある種、恐ろしい同調圧力がそこに存在するのは想像できます。環境問題を重視するパタゴニアとは言え、アメリカの企業である以上は、それはそれなのです。株式を公開していない企業ならではというのもありますが、こういったエキセントリックさがパタゴニアの魅力でもあります。

身近にMTB好きの古着屋の友人がおり、彼の影響で21世紀に入ってからのミリタリー・クロージングの世界にどんどん惹かれていったのですが、パタゴニアがミリタリーラインを持つこと知り、軽い気持ちで集め始めたら、相当に奥深い世界で、PCUの思想が少しだけMTBというスポーツに通じる部分があったり、なかなか面白いと思ったので、非ミリオタの視点で御紹介したいと思います。あくまでも独自研究の域を出ませんので、予めご了承ください。

アフガニスタンからアラスカへ

パタゴニアは1980年代後半から既にアメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)とは関わりを持っており、キャプリーンのアンダーウェアが極寒下の任務で支給されることもあったそうで、1986年頃から配備の始まっていたECWCS(Extended Cold Weather Clothing System)には後の世代でこのSOCOMのキットに酷似したパタゴニア製のキットが含まれることになります。しかし、この時点ではパタゴニアの関与は限定的でした。

2002年、後にシルバースター勲章をを授与されるアメリカ陸軍のトニー・"バケット"・プライヤー軍曹がアフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈から衛星回線でナティック・ソルジャー・システム・センター(NSSC)の特別プロジェクト・チームのリック・エルダーに電話をかけ、このような環境下で兵士を暖かく保つためのより良い解決策を考え出すように要求します。簡単に言うと「クソ寒いからなんとかしてくれ」と言ったのです。

ここから伝統的な初期のECWCSのキットは、天候に左右されず、迅速に行動するための特殊作戦には適していないとの意見が広まり、軍は装備や衣服へのアプローチの再考を始めたのです。一気にProtective Combat Uniform(PCU)制定のためのプロジェクトが動き出します。

面白いことに、ECWCSは1986年からGen1、Gen2と進化し、現行はGen3が最新になりますが(プロトタイプでGen4も稀に見ます)、2002年の時点までにECWCSに加えられた変更点は、民間の寒冷地用衣類の進歩のペースを反映したものではなかったのです。端的に言うと、その時点では民間用のリクリエーションに使われる登山用衣類の方が先進的だったのです。

PCUの開発は、ECWCSを根本的に見直すものであり、民間登山から誕生した革命的な新しいテキスタイルを取り入れるチャンスでもありました。

有名なコディアックで製品評価をしている写真で、9分間浸かるそうです。最初の2分間は地獄ですが、以降は眠くなるとか。

エルダーはアラスカ州コディアックにある海軍特殊戦分遣隊の元責任者であるスコット・ウィリアムズ最先任上級兵曹長を含むチームを編成します。マーク・トゥワイトのような寒冷地での経験が豊富な民間人にも協力を要請し、1年という異例のペースでキット内で互換性を持たせた衣類システムを開発、兵士に総合的な寒冷地オプションを提供することになります。

PCUの誕生

このマーク・トゥワイトさんと言う人がPCUの生みの親、ゴッドファーザーとも言える人間なのですが、元々は著名な登山家で、パタゴニアのアドバイザーとしてレギュレーター・システムの開発にも関与していました。つまり、最適な人材だったのです。

このYouTubeの動画にPCUとは何ぞや?という部分が端的に語られているのですが、最も革新的なのは、ソフトシェルの採用です。

従来のECWCSはGORE-TEX採用のハードシェルで体をドライに保つというコンセプトだったのです。しかし、寒冷地をヘリで数時間運ばれ、ヘリから降りた瞬間から全力で目的地までダッシュで移動という状況では機能しません。行動を開始するとすぐに汗をかいて、その汗がアンダーウェアに停滞し、停止した瞬間に体温が一気に低下してしまいます。

なので、民間登山家からのフォードバックを得て、ハードシェルで体をドライに保つというコンセプトを潔く諦めてしまい、ウォータープルーフ(防水)からウォーターレジスタント(耐水)へとシフトしました。速乾性のあるアンダーウェアとミドルレイヤー、より通気性の高いソフトシェル生地をアウターに採用し、レイヤーを通して体の水分を素早く排出して、体をドライに保つという考えです。PCUのレイヤーはLevel 1からLevel 7まで用意されており、Level 1はキャプリーン採用のアンダーウェア(ブラジャーまであります)、Level 7はファッションアイテムとしても名高いDASパーカーになります。それでもGORE-TEXはLevel6で採用されていますが、豪雨などの限られた状況のみでしか使いません。

冒頭でPCUのコンセプトはMTBというスポーツに通じる部分があると書きましたが、自転車というスポーツがまさにこれで、例えば冬とはいえ登りで頑張るとすぐ汗をかきます。ジャケットのジッパーを開けて汗を排出しようと努力しますが、それでも間に合いません。そして、下りに入ると一瞬でその汗が冷えてしまいます。まさに、初期のECWCSが持っていた問題と同じことが起こるのです。

上の写真はおじさんがパタゴニアのMTB用のローマージャケットを着ている所ですが、これがめちゃめちゃ良いです。寒い時期はGORE-TEXの(比較的ソフトな)ハードシェルジャケットを使っていたのですが、防水性とか機能うんぬんの前に着心地が悪いんですよね。ゴワゴワして。このローマージャケットは豪雨以外の状況でジャケットを選ぶなら、これしかないという感じです。やはり、いつのまにか民間の山岳用の衣類は官給品の性能を越えていたのですよね。

さて、登山家のマーク・トゥワイトさんはYouTubeの中で2001年秋にアフガニスタンのプライヤー軍曹から電話あり、と話していますが、これは不朽の自由作戦のことでしょう。この2ヶ月以内に召集され、7〜8ヶ月以内にPCUブロック1が制定されたということなので、それは2002年末辺りになります。

しかし、他にも検索してみると、アフガニスタンのプライヤー軍曹から衛星電話があったのは2002年だとする場合が多く、これはトゥワイトさんの勘違いで、正しくは2002年のはずです。2001年秋は空爆をしている段階なので、ヒンドゥークシュ山脈に地上部隊が展開しているとは考えにくいからです。

そうなると、PCUが制定されたのは2003年末辺りと考えるべきなのですが、これで辻褄が合ってきます。特殊作戦部隊は3社のベンダーを招待し、PCUをさらに洗練させるため協力を依頼しますが、2社は自分達がコントロールできない国内工場で自分達のブランドの製品が生産されることを嫌ってパタゴニアだけが全面協力に応じます。

アメリカの連邦規則にはベリー修正条項という、戦時中には国内の産業市場を守り、雇用を創出するために、国防総省の予算はアメリカ製の製品に使用することを義務付けることになっています。そのため、ベンダーは生産工場を自由に選べないということが背景にあります。

その場しのぎのPCU

パタゴニア製品はタグに印字された、SKUを管理するコードで生産された年度を特定できますが、上の写真は左が2004年生産のPCU Level 3のR2グリッドフリース、右が民間向けになります。カラーは異なりますが、全く同じものです。

パタゴニアは既に特殊作戦部隊向けのMARS(Military Advanced Regulator System)と呼ばれるミリタリーモデルを持っており、ここに民間モデルを採用してLevel 7までフルラインナップのPCUに生かすことにします。

1年という短い期間でPCUが策定されたことにより、民間とまったく同じモデルがアルファグリーンに変更され、支給されたのです。逆に言うと、民間モデルはこの時点で既に性能として高いレベルにあったと考えることもできます。パタゴニアPCUの魅力は、時間的制約のため民間モデルをそのまま色替えしたり、多少のカスタマイズで特殊作戦部隊に供給した所にあると思うのですが、短いテストと急ぎの策定の結果、民間モデルとほぼ同じになってしまい、アメリカのミリタリーアイテムには本来必ず表記のあるストックナンバー(NSN)がないモデルが多いため、これもコレクションを難しくしています。

アメリカの軍物はアメリカ製である、と一般的に言われていますが、ベリー修正条項があるにも関わらずLevel 5には中国製のソフトシェルジャケットも存在しますし、ここからもアメリカ国内の工場では対応できなかったという急場しのぎ感が伝わります。

ザ・ロスト・アロー・プロジェクト

引用: ヤフオク

さて、僕の調査では2009年モデルを最後にパタゴニアブランドのPCUはセカンドマーケットから激減します。このようなMARSのプロトタイプと称されるモデルを稀にヤフオクで確認できる程度です。お値段48,000円。パタゴニアのタブは付いているものの、怪しさ満点で僕は疑っていたのですが、調べてみるとこれは実在するテストサンプルのようです。

引用: soldiersystems.net

パタゴニアは引き続き深く米特殊作戦軍と関わっており、2009年にテキサス州エルパソでPM-SSES(Program Manager-Special Operations Forces Survival, Support & Equipment Systems)のために新しい戦闘服をプレゼンテーションする機会を得ます。SOFの各部隊から招かれた担当者がプロトタイプに対してフィードバックを与え、適切なサイズを決定するため3Dレーザースキャンを行いました。これらの戦闘服はLevel 9となります。

ヤフオクのベストにはLevel 9とラベルにあり、さらに2009年度のコントラクトと読めますので、このイベントで使用もしくは展示された可能性はあると思います。

引用: ebay

それでもebayをしつこく探すと2014年製のLevel 6が出てきますが、これはSEALSから放出品のようです。新しい世代のPCUはAOR1やAOR2などのカモフラージュパターンが多く、ミリタリーマニアならまだしも、非ミリオタの僕にはちょっとハードルが高いです。せめてマルチカムまででしょうか。どちらにせよ、このジャケットは程度が良いので$695というプライスです。パタゴニアのラベルの場所がとても面白いですね。

注目はそこではありません。タグに見える実際の製造業者、Peckham, Incという会社です。

引用: soldiersystems.net

2015年、ザ・ロストアロー・プロジェクトはパタゴニアの子会社として、PCUに続くものを構想するため、新たなスタートを切りました。彼らはパタゴニアで最も経験豊富なデザイナーの一人であるケイシー・ショーを迎え入れ、最終的にMilitary Alpine Recce Systemとなるものの開発に着手します。現在もMARSと呼ばれていますが、旧来のレギュレーター・テクノロジーから新素材へと移行したもので、通気性を重視しています。

旧 Military Advanced Regulator System
新 Military Alpine Recce System

つまり、このように同じMARSと呼ばれるものではあるものの、初代MARSのように既存の民間モデルに手を加えたものではなく、新MARSは素材から完全に新しくデザインし、PCUの基準を高め、生産管理を容易にすることを目指しました。

特に旧MARSとPCUに寄せられていた批判は、システム内に衣類の数が多すぎるというもので、ケイシー・ショーは自分自身に「1つの衣類に6つの仕事をさせるには?」という問いかけることから始めました。

ショー氏によると、新MARSは、山岳環境での長時間の任務を想定して設計されていますが、ユーザーが望ましい効果を得るため、一度に3枚以上のレイヤーを着用することはないということです。なんとたった3枚のレイヤーです!

これがレイヤーを最大3枚に抑えることに寄与した素材です。グリッドフリースにエアロライトナイロンをラミネートしたもので、多くの新MARSに共通する素材です。

新MARSはパッシブではなくアクティブインサレーションシステムであることを理解しておくことが重要です。着用者が衣類の湿気を排出するために、より積極的な役割を担うことを意味します。その秘密は通気性を管理することです。生地はさまざまな方法で処理され、どのように通気するかに影響を与えます。

前置きが長くなりましが、Peckham, IncはパタゴニアがPCUの生産を委託している非営利の衣料メーカーで、米軍とのコントラクトを多く受託しています。Peckhamは従業員をただ単に労働力としては考えておらず、彼らはクライアントやチームメンバーだと考えています。障害を持つ人たちに職業訓練の機会を与え、個人としてより大きなコミュニティに貢献する者として成功できるように支援するという使命を持ちます。

Peckhamとパタゴニアの関係は単なる外注先という関係を超えています。パタゴニアはPeckham社内に彼らの先進的なR&Dセンターを再現し、それはラミネート、超音波溶着、レーザーカッティングなどの設備を含みます。コンセプトを素早く実現し、大量生産モデルをシミュレーションすることができます。

さらに、パタゴニアから担当者が定期的に出張し、生産現場での指導を行っています。彼らはまた逆に、Peckhamから身体の不自由なチームメンバーが製造工程に参加できるようにするための革新的なソリューションを学んでもいます。

引用: soldiersystems.net

さて、これがパタゴニアがアメリカ国内の衣料メーカーと密接な関係でゼロから作り上げたジャケットで、Mixed Range Jacketと呼ばれるものです。エアロライト素材を通気性の高いソフトシェルとして、パタゴニアの透湿防水素材素材で3層構造を持つH2Noをハードシェルとして組み合わせたもので、見た感じは裾辺りの素材の色が変わっていますので、濡れやすい部分にH2Noを採用しているのでしょうか?とにかくかっこいい!

既に販売が開始されているのですが、残念ながら今の段階では政府関係者しか買えません。おそらくIDを要求されると思います。なお、お値段は驚きの$829です。こちらでMARS2(勝手に命名しました)のラインナップを見ることができますが、 ナノエアジャケットは民間モデルに酷似していますし、DASパーカも復活しています。

しかし、しかし!

これは僕だけの感想では無いと思うのですが、MARS2はあまりにタクティカルになりました。タクティカル製品なので当たり前なのですが、これではBEYONDやSEKRIやMASSIFのようなタクティカルブランドと変わらないではないですか!

どうやら、パタゴニア初代MARSには、2003年に民間登山家と軍がパタゴニアの民生向け製品を生かしつつ、急ごしらえで仕立て上げた所に結果として偶然に製品としての魅力が産まれてしまったようです。でも、MARS2がebayに流出するようなことがあれば、全力でbidすると思います。とりあえず今は初代MARSを掘り続けることにします。

実はコレクションが増えてしまったので、次回からはアイテムをピックアップして民間モデルと比較しながら紹介したいと思います。子細に見て行くと、2004年には色替えしただけだったモデルが少しずつ改良されたり、ロゴが消される過程を確認することができます。

とりあえずはここまで読んで頂いてありがとうございました。

参考文献

Soldier Systems Daily
https://soldiersystems.net/tag/patagonia/

BACKPACKER
https://www.backpacker.com/gear/stone-cold-campers

ITS Tactical
https://www.itstactical.com/gearcom/apparel/comprehensive-guide-protective-combat-uniform/

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