投稿日 2022/08/25
僕の観測範囲で最近良く耳目に触れるのがアーカンソー州ベントンビルという人口5万人の街です。
日本人でアーカンソー州がどこにあるのか正確に知っている人は僅かだと思いますし、僕もそうでした。名物は砥石と、輩出した有名人はビル・クリントンです。そして売上高世界最高を誇るスーパーマーケットチェーン、ウォルマート創業の地が州北西部のベントンビルです。
オレゴン州ポートランドのようにカート・コバーンとコートニー・ラブが出会った場所でもなく、ガス・ヴァン・サントが映画を撮影した訳でもなく、Aminéのようなラッパーを輩出した訳でもなく、野村訓市も訪れたことないと思われる、至って地味な街です。
唯一の売りがウォルマート創業の地という点ではありますが、近年確実にポートランドを脅かしています。例えばfacebookで誰かポートランド在住の人が「引っ越しします」と書いた時、高い確立で「ベントンビル?」というコメントが入ります。ミーム化しているとさえ感じます。パンデミックを経てリモートで働くスタイルが確立された今、ポートランドを離れるという選択をする人もいます。
極右団体プラウド・ボーイズがポートランドに拠点を置くのは有名な話ですが、議会襲撃にも大きな役割を果たしており、ポートランドは白人至上主義の蔓延する街であるというネガティブな印象を与えることになりました。そして、年々と街中に広がって行くシェルター、ホームレス問題です。ホームレス同士で殺人事件も発生し、ゴミ問題もネイバーフッドでは深刻な問題になっています。そして高騰する物価と家賃。Aminéもインタビューで答えていますが、ポートランドはますます黒人が少なくなり、白人化が進んだため、もはやホームタウンとは感じないと。
さて、次なるヒップスターのディスティネーションであるベントンビル。最初にこの街を意識したのは、2017年にウォルマート創業者の孫にあたるトムとサムのウォルトン兄弟の投資会社であるRZCインベストメンツがRaphaを約300億円で買収したというニュースからでした。カリスマ的なブランドが大資本に買われる、よくあることですが、同じくよくあるのが「ブランドの精神は変わらない」というプレスリリースです。そんなことはありません。
Raphaというブランドを作り上げるプロセスに大きな功績を残したオレゴン州ポートランドの北米HQはあっさり封鎖されてベントンビルに移転し、不採算の直営店はことごとく閉店し、リストラの嵐が吹き荒れました。そして、創業者のサイモン・モットラムがCEOだった時代には考えられなかったことですが、MTBウェアを製品ラインナップに加えることになります。
ウォルトン兄弟は「金は出すが口も出す」タイプの富豪だったのです。アメリカの伝統的な富豪にありがちですが、彼らの私生活はあまり多くはネットで調べることができません。ソーシャルで自分の豪華な生活をひけらかせるタイプではなく、帝王学が叩き込まれているのかもしれません。なんせ彼らが子供の頃、家にはTVが無かったそうですから。
この二人がその辺の富豪と決定的に違うのは自転車マニアであり、特にマウンテンバイク好きで、彼らはその豊富な資金力をトレイル延伸に費やしており、ウィンチェスター家の未亡人が屋敷の増築に生涯執念を燃やしたのと同程度の情熱でトレイルを伸ばし続けています。
兄弟は有名なアーカンソー州リトルロックのコンペティティブ・サイクリストを創業した一人を雇い入れたり、Allied Cycle Worksを買収するなど、自転車業界と直接の関係をRapha以外にも持ち始めます。
これが有名なベントンビルのトレイルです。日本では3,500円払っても走れないレベルのトレイルが無料で走行できます。GMBNがマーティン・アシュトンと一緒にイギリスからわざわざベントンビルまで取材に行っていますが、当然これはウォルトン兄弟の財団が招いたと考えるのが自然でしょう。
また、動画内に往年のオランダ人MTBレーサー、アネケ・ビーテンが登場してインタビューに答えていますが、2015年にカリフォルニアに移住して、最近ベントンビルに移住してコーチ業をしているそうです。トレイルが素晴らしいのは当然として、そのコミュニティに惹かれたこと理由に挙げています。
シングルトラックだけではなく、このようなバイクパークもあります。トレイルやバイクパークを作るとマウンテンバイカーが集まる。すると彼らの需用に応えるため、自転車店ができ、コーチする人が移住してきて、ライド後に飲みたい人も多いでしょうからブルワリーやレストランができて、最終的にはMTBタウンになるのです。まさにフィールド・オブ・ドリームスですね。
最近では全米で3拠点目となるスペシャライズドのエクスペリエンス・センターがオープンすると報じられており、近郊のフェイエットビルでは2010年にオープンしたバイクショップをスペシャライズドが買収するなど、自転車業界のメジャー・プレイヤーも続々と集まってきています。
最近、日本中でMTBパークが続々オープンしていて、それ自体は喜ばしいが、3,000円/日みたいな料金体系で、今後のマウンテンバイクというスポーツの未来が心配になる。
北米ではリフトを使うパーク以外は公園扱いで、ほぼ無料だけに。モノも高いし、既に金持ちのスポーツなのか💰— TKC プロダクションズ (@tkcproductions) August 11, 2022
意図せずバズってしまったこのtweet。同じ様な危機感を持っている方も多いのかなと思いました。前から主張しているのですが、マウンテンバイクというのは都市型スポーツです。クルマでトレイルヘッドまで40分圏内が理想です。1-2時間も走った上に、3,000円のコース使用料を払うなら、リフトやクルマでの搬送があったり、作り込まれたラインが何本もないとかなり厳しいと思います。とにかくトレイルやバイクパークは都市圏に作らないと意味がないのです。
ベントンビルがMTBの分野で注目されてることを説明してきましたが、この状況は2005年辺りのポートランドに近いと感じます。「ポートランドという街がアツいらしい」というあの頃のブレイク前夜感です。
日経新聞にもこんな記事がありました。
少し古い記事ですがビジネスインサイダーにも街とウォルマートの関わりが時系列で説明されています。
邸宅、高級レストラン、美術館 —— ウォルマートの本拠地として“高級化”したアーカンソーの小さな町
クリスタルブリッジ美術館、自転車を教材に使うターデン校、高級レストラン、今後は国内のヒップなメディアにベントンビルが紹介されることも増えてくるでしょうし、地方自治体が視察に訪れたりするかもしれません。
薔薇色に見えるベントンビルですが、去年に州議会がトランスジェンダーのアスリートがスポーツ競技に参加することを禁止する法案を提出し、知事が署名したことで大炎上しました。アーカンソー州は伝統的に共和党が強く、近年はますます強くなっています。ここで不思議に思うのは、アーカンソーに地盤を持ち、強烈な政治力を持つウォルトン家のウォルトン兄弟がこの法案を阻止する動きをしたのか、しなかったのかという問題です。
近年、スポーツの世界でもダイバーシティという考えが受け入れられ、Raphaも当然ながら同調しています。ウォルトン兄弟もリベラルな思想を持っていると期待したい所ですが、残念ながらウォルトン家は基本的には共和党の支持者であり、家族によっては民主党にも共和党にも献金するなど、旗色をはっきりと示していないのです。
しかし、それはどっちでもいいのです。すばらしいトレイルがあれば、ロバでもゾウでもそこに人が集まります。なるべく早くベントンビルに行く予定です。野村訓市ごときに先を越される訳にはいかないのです。